芸術とは表現者またはその表現物とそれを受ける(見る、聴くなど)人との間で、感じ(美しい、悲しいなど)、考えや信じていること(同感だなど)などについて作用しあうことで、絵画、音楽など千差万別である。日本人は写真を芸術として認めるのも、写真専門の美術館ができるのも先進国の中では一番遅かったようだ。「写真」という言葉を当てはめたのは日本だけのようだが、(1)対象物の姿や形をそのまま写す(コピーする)と(2)対象物の真の意味をえぐり出して表現するという意味があると考えるなら悪くない訳であったようにも思う。しかし日本人は(1)の軽い意味に傾いて、撮影者の創造性(対象物に対する感じ方、表現努力など)をなかなか認めなかったのだろう。写真は200年位前にヨーロッパでも(1)を動機として発明されたのだが、フォトグラフィー、Photo(光を使って)graphy(描く)とし、絵の具を使って絵を描くように、光を使って対象物を描くとし明確に表現の手段として決め込んだ結果が返って(2)の考えを認め芸術性を認めていたと思う。

窓辺のテーブルの花瓶に一輪のキレイなバラが生けてある。この美しさを写真で表現するには、上下左右のどこからか、寄るか離れて、色彩、光の方向や明暗、シャープさ、などなど、カメラとレンズの条件知識を総動員してシャッターを押すが、これらの要素の組合せは無限大にある。その撮影者の感性と努力で、無限大の組合せの一つを決める。絵画の色彩や形、音楽の音符の羅列も、無限大の組合せの中から選んだ作品のあるものが名作となる。それでは、無限大の組合せからスーパーコンピュータに選ばせて作った作品は、もし、人にある反応をもたらすのであれば芸術といえる? 芸術ではないが、すでにチェス、囲碁、将棋などではコンピュータが名人に近づいている。

以上の小生の意見は中途半端で終わります。

2007年12月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima