写真を撮っていて、「自然の美」って何だろうと相変わらず考える。「美」って余りにも意味する範囲が広すぎるので、「キレイ」ということだけに絞って考えても、真っ先に「形」と「色」の美しさが頭に浮かぶが、到底それだけの組合せだけではないと思う。雪を頂いた富士山、夕焼けと雲、沖縄の青い海、桜、紅葉、などなど、観て、ほとんどの人が「キレイ」と思い、「キタナイ、イヤダ」と思う人はゼロに近いのではなかろうか。美学という学問は別として、普通の人は、こういうものを見たら美しいと思いなさい(感じなさい)などと学校で習ったわけでもなかろうし、何か本能的なことなのかと思う。美学又は哲学では@「そのもの自体に本来備わっている」という考えとA「そのものを観る側の見方によって決まる」という理論がある。難しいことは考えないで、写真をただ感じたままに撮影していればよいのだが、@もAも神が関係しているように思う。@は広大な神の美に対するお考えのほんの一端としての表現であり、Aはやはり神によって造られた人間の計り知れない機能のほんの一端の作用であろう。自分の写真が人にある程度感動を与えられているという自負心を持ってしまっている自分を神が許してくれることを願う。 最近のデジタルカメラは殆どマーマー写るようになっているから、「キレイ」と思ったらカメラを向けて兎に角シャッターを押す。パソコンのモニターで見る、それだけでは終わらずプリントしてみる。そしてモニター上やプリントの作品がシャッターを押したときの「キレイ」と違っていたら「ようし、絶対に近づけてみせる」と覚悟するかしないかで、写真の趣味に突入するかどうかが分かれる。

2008年1月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima