舞岡公園の樹木は落葉樹が多い。冬になると里山が裸になり落葉して残った樹木の幹と枝の形が空を背景として特に目立ってくる。谷にある大方の樹木も幹と葉の形をあらわにしてくる。そうなると写真撮影にこの形をどうにかしようと気になってくると同時に疑問が湧いてくる。木はどうしてああいう形になったのか。形は色々あるが、原則的にはクリスマスツリーのような形が大勢を占める。神様が造ったといえばそれまでだが、植物進化学的(?)にいえば、成長の源である光合成のために多数の葉が太陽光線を満遍なく受けられるようにする理想的な枝ぶりの形はクリスマツリー的な形になるだろうということは素人の私にもなんとなく解る。しかし、地球の重力に逆らって空に向かって(あるいは横に)伸びて行く幹と枝ぶりの形のなんと多様なことか。中心となる幹は大体が空に向かってまっすぐに伸びるが、余りまっすぐ(電柱みたいに人工的に)であると、(竹林とか多数がそろって直線的に空に向かっている光景は写真の対象になるのであるが)、何か興ざめである。舞岡公園のある場所でいつも光線の具合が素晴らしく逆光か半逆光で撮影したい場所があるのだが、その中に電柱みたいに余りにまっすぐな木が一本あるために撮影していない。枝ぶりはどのように決められるのだろうか。一つの幹から横に出る枝と枝との間隔、枝の方向や形がすべて違う。枝分かれの形も同じものはない(ミツマタの枝が三つに分かれるのは結構おのおのが統一されているが)。それでいて遠くから見ればほぼ全体としてクリスマツリー的な形になっている。まさか逆三角形的なることはよもやありえないだろう。この全体的な形は何千万年も受け継がれた遺伝子(DNA)で決まるのだろうが、その他の細かい点は遺伝子によって几帳面に決められてはいない(と思う)。ある年の日々の又は年間の太陽光線の強さや当たった時間(向きは毎年同じなはずである)、温度や湿度とそれらの変化の速度、又は風の強さや方向、などなど神様のみがご存知のある方程式によって決められるようになっている(これまた遺伝子?)のだろう。この樹形の無限の多様性のおかげで面白い風景写真を撮らせてもらっているという感謝の気持ちがある。

2008年2月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima