前回の「思うこと」で「普通の人が普通に生きる」ことは結構大変だと書いた。理由は結構忙しい生き方をしているからであった。関連して思い出したのは「ながら族」。1960〜1980年頃の流行語だったが、今の若い世代の人は知らないようだ。「テレビ、ラジオを聴きながら勉強をするのが習慣になった若者たち」を表現することから始まったといわれるが、今の若者たちのほうが、もっと「ながら族」なのかな?携帯電話使いながら歩いているのは典型的な形(自動車、自転車乗車中は今や違反となった)だろう。さて、多忙な(?)小生の「ながら族」的な場面は、会社から帰って夕食をするとき、テレビを観る、新聞を読む、食べる、考え事、などを同時にやっている。でも「同時に」と安易に言ってはいけないのかも知れない。脳は何千分の一秒刻みで各命令を順番に行っているが外見は同時にやっている行動になるのかな。ついでに、心臓、肝臓、血管など自動的に動いており不随意運動といい(中学校で習った筈?)、我々が意識して行うのを随意運動といい、「呼吸運動」だけは両方の組合せで行われる。呼吸を何分止めていられるかバカな実験は誰でもやったことがある? 脱線しました。人間が発明した「やること」が際限もなく増えるにつれて益々「ながら族」になる必要性が増大しているのでは?会社での典型的な場面は、パソコンを観ながら電話して、メモを書き、そこに居合わせる他人とも会話している。小生では、趣味の写真の画像処理がパソコンで進行中、又はプリント中、インターネットを観たり、WordやExcelを使ったりしている。小生のパソコンは構成品を自分で選択し、CPUはデュアルのダブルの機能を持ち、メインメモリーは4GB(8GBへの拡張を想定)などで「ながら」行動を瞬時にこなす。人間はどこまで「ながら」行動ができるのか。1000年、100前はどうであったのか?もしかしたら「ながら」行動を増やすと脳がパンクし、ストレス増大、精神異常にいたる?

2008年5月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima