舞岡公園の石碑に次のようにある。
「ただひとつのためにいき、ただひとつのために枯れてゆく草よ、そんなふうに生きても、お前はだれも傷つけなかった」
 そもそも、宇宙は、物質は、地球は、生き物は、何のため造られたのか。何も無くっても良かったのではないか?神様はそれではつまらないから(?)こういうものを造った。造ったからには、それらの間に相互作用や変化が起きるようにした。「小さな雑草は何事もなく、生まれて、生きて、死んでいった」と人間には見える。しかし、その小さな雑草の水準で、他の雑草と戦っていたのかもしれない。
 「誰も気にかけてくれないから誰でもいいから殺してやれ」という考えに達して無差別殺人をやったやつがいる。特別、今の時代だからこういうことが起こるのか、昔も結構あったことなのか知らない。神様は人間だけに考える、感じるというような力を与えた(類人猿にはある程度ありそうだし、他の生物にもそれなりの水準であるのかも?)。そして人間は、その考える力、感じる力により他の生物には見られない複雑怪奇な世界を造った。結果、自分自身で管理、制御できずに迷っていて、消滅の方向に向かうのではないかともいわれている(このこと自体、神様が仕組んだ自然の現象で、どうもがいても仕方がないのかも知れない)。
舞岡公園で写真撮影していると、「あー面倒くさい、小さな雑草になりたい」と思うことがある。一方で、折角神様が造った複雑怪奇な人間として、こうして考えて書き、感動して写真撮影し、誰かが読んで、又は、観てくれるかもしれないという期待で発表している自分を、余計なことを考えずに、楽しんでいる節がある。

2008年6月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima