前にも書いたが写真は「一期一会」である。あらゆる被写体はシャッターを押した次の瞬間(無限に小さい瞬間)に既に違ったものになっている。というわけで、よく「無限(大または小)」について考えることがある。こんな話題は内容も無限大にならざるを得ないから、劣悪な小生の頭に浮かぶ範囲内で取りとめもなく中途半端な内容になる。読んでもらっても何もならないかもしれないし自分にとってもそうかもしれない。先ず無限大というと宇宙だ。アインシュタインが宇宙にある最高速度は無限ではなく光の速度(約1秒間に30万KMとは良く知られたこと)だとした。そして宇宙の大きさは少なくとも780億光年以上であるとの説がある。1光年は光が1年間に走る距離で9兆4607億3047万2581キロメートルであり、その780倍以上ということになる(「以上」ということをつける)。人間が計算したものだが人間の感覚を超えたものである。 無限小については日本のお得意のノーベル賞花盛りの素粒子物理学である。今現在知られている限りの素粒子はクォークやニュートリノなどだが重さは1兆 X 1兆 X 1兆分の1キログラムといい、これも人間の感覚を超えたものである。素粒子とは物質を構成する最小単位で、それより小さな存在がない、内部構造と空間的な大きさがないというもの。でも「大きさを持たない」のがいくつ集まったって「無」でないの?  次は数学で、1,2、3.。。。の無限大、 1/10、1/100、1/1000、 1/。。。。。の無限小、はどこまで続くのだろうか。0は「無」だ。小生のような人間が考えてもしようがないことを書いた。結局は神様が造ったこの宇宙は、これ又神様が造った人間の感覚を越えた存在であり、いくら人間が発達(?)しても永久に解明できない何かをもっている。他にいい言葉がないから小生がここで使った「感覚」とは科学的であると同時に何か精神的といってよいか得体の知れない人間の状態を意味している。結局は、科学と宗教との関係を話していることになるのかな?アイシュタインも科学と宗教の共存を考えていたようだ。

2009年2月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima