舞岡公園の写真を撮っている小生が経済学を持ち出すのはおかしい? でも、百年に一度の世界不況の中にあるといわれれば、なんか経済のことに触れてみたくなった。経済学なんて殆ど勉強したことがないが、経済学の定義自身があやふやなことは知っている。経済学不要論だってある。ひどいのは1969年生まれたノーベル経済学賞で、創設する必要はなかったとさえ言われている。過去40回の受賞のうち90%位はアメリカなのですよ。受賞理由は、殆どが数学的お遊びの内容である(と小生は推測する)。そのアメリカで今回の大不況が始まったのですよ。経済学は殆ど世のためになっていない(と考える)。インターネットによれば、「この世において有限な資源から、どのようにして価値を生産し分配していくかを研究する学問」とある。そして「近代経済学は価値の根源を人間の欲求・欲望に求める」とある(この辺は正しいと思う)。今回のサブプライム問題は、ある時点の住宅の価値を将来値上がりするだろうという予想で、例えば年に100万円くらいしか返済能力のない人に500万円貸し付け、その貸し付け内容を将来も価値がありますよと信じ込ませて、あたかも紙幣のような価値あるらしい証券として流通させた結果である。予想することとそれを信じ込むには科学者が数式で表せない、つかみどころのないであろう人間の際限なく加速度的に膨らみ、ついには理性を失ってしまう欲望が関係してくる。1980年前後の日本のバブル経済の崩壊も土地神話に基づく殆ど同じ理由であったろう。こうなってくると、役立つ経済学は(もしあるとすれば)人間の心理、欲望、欲求などや、その変化がどのようなものか解明しなくてはならない。恐らく心理学、脳医学、さらには宗教的な考えさえも要素として取り入れなくてはならない。更には、証券のような代物を仕立て上げるアイデアは、コンピューターで生み出される仮想世界などのアイデアを基に多様化するであろう。だから、世界的な大不況はいつか又やってくる(と考える)。一方、地球環境問題は深刻化している(と今ではいえると思う)。そして環境経済学というような要素も絡み益々複雑化する。小生流には環境経済(Environmental Economy)よりは、人間を含めた自然の生態系も強調する Ecological Economyを使いたい。だから、経済学は定義できない?

2009年4月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima