「ぼけ」「ぼかす」ということは写真撮影では頻繁に使われる。ヨーロッパで発明されたこの表現方法は元々Photo-graphy(光を使って描く)だったものを、「真実を写す」と思って「写真」と訳した(こう訳したのは日本人くらいではないか?)。「真実」を写すなら「ぼかして」はいけないんではないのか?その日本人がですよ、ネット情報によれば、写真における「ぼかし」を最も多用している国民であるというから不思議である。写真における「ぼかし」には、前ボケ、後ろボケ、前後ボケ、全体ボケ、ピンボケ、……色々ある。絵画では主とする被写体以外は描かなければ良いのだから簡単だが、写真では皆写ってしまう。自分が最も強調したい被写体以外は「真実」に写ってしまっては困るから「うやむや」にするのである。(ここで少々専門的になるが)主被写体から奥行きがずれた部分の被写体をぼかしやすくするためにレンズの開口部分をできるだけ開く、又は焦点の合う奥行き範囲が狭いから望遠レンズを使う、ボケを強調できる手段としてデジタルカメラの画像を結ぶ部分にある撮像素子の1画素が大きいものを選ぶ(ということは一般的には大型カメラとなる)などなど方法がある。ところで、目の前に新聞を大きく広げて見て下さい。あなたの目は一瞬間、同時にはジット見ている1字か2字位しか判読できない。他の部分は全てぼけてしまっている。目とその画像を処理する脳の能力はこんなものだ。画像でも実際の風景でも、ある瞬間は、ある一点しか認識できていないのだ。かなりの高速で目をギョロつかせて、残像効果により、一場面を見たことにしているのだ。こう考えてしまうと、「ぼけ」不要論に繋がる。別の意味では、実際あるものを「ぼかして」画像を組み立てるのはインチキだという悪者論にもなる。実際写真プロの間でも、大げさな論争にはなっていないが、意見はまちまちである。「ぼけ」を多用する写真家よ、「ぼけ」に頼らずに、自分の主張したいことを強調して表現してみろという示唆もある。一般的に、小生が最も撮影する風景写真は「ぼけ」は余り使わない。また生まれつき正直な小生は「ぼけ」は使わないほうだと思っている。以上しばらくぶりに本来の写真の話になったが、世の中、政治や外交を初め「ぼけ」「ぼかす」だらけですよ。人間、皆ある程度こういうことをやって生活し生きているのだ。以上の私の文章内容も「ぼかし」だらけであろう。

2009年5月


 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima