整理、整頓といっても、特に整理は会社などの組織を解体するときにも使われるが、通常の整理整頓について書く。「何とか整理学、どうやって家の中を整理するか」なんていう本が結構出回っている。なんといっても、写真を撮り保存するには整理整頓が欠かせない。ところが、写真を撮ったはいいが、特に順序付けないでパソコンに入れっぱなし、ハガキサイズでプリントした写真をアルバムに順不同に貼りっぱなしという人結構いるのではないの?そういうのは、仕舞い込んだら出すのが大変、見つからない、ということは無いのと同じになる。小生のやり方は、大まかな大分類のタイトル、日付分類、次に具体的内容の順で成り立っている。そして外付けハードディスクやDVDディスクに必ず二重に保存している。でも時々、ああ面倒くさいと思うことも確かにあるが、前述したように、無秩序で、後で思うように取り出せないのであれば無いのと同じになってしまうので、そうならないよう頑張っている。生まれつきの性格もあるようだが、小生は会社でも自宅でも机の上やファイルケースが整理、整頓しているほうだと思っている。でも、会社で思い出すが、そうでなくて、かなりだらしないように書類を積み上げている人にアレコレ尋ねると、所望のデータがどこにあるか大体覚えていて、結構早く出してくる。テレビや新聞などに出てくるある著名な発明家の事務所を訪問したとき驚いた。巾2m位、長さ4m位の大きな机の上に書類が乱雑に積み上げられ山脈のようになっていた。でも、こういう方々は山脈のどこに、どのような資源が眠っているか、位置を覚えていらっしゃるのであろう。でも記憶能力には限界があるのではないかな?自分が病気などになって第三者に助けてもらう羽目になったときどうするのかな?などなど疑問がある。ヤッパリ小生はきちんと整理、保存することを続行する。この件から派生して、文明論について考えると、西洋文明では神様が造った自然のものや現象を分類するところから始まり、整理整頓してそれらを分析して解明する科学となった。東洋文明のほうがこの点不徹底であったようだ。どちらが進んだ文明なのか、ここでツベコベいってもしようがないし、小生には資格も無い。

2009年9月




 
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