変なタイトルだ。言葉としてはどうといったことないが、小生としては改めて書いてみたい気持ちになったのである。一体何を言いたい? 昨日舞岡公園の小谷戸の里の古民家広場で毎年5月と11月に1日だけ開催される「マイ作品展」があり、小生も例によって写真を出展した。3〜4時間展示のミニ文化祭である。出展場所にずっといたってしょうがないわけで、ブラブラと何時も写真撮影をしている場所と道を歩いた。カメラバッグもカメラも持っていなかった。身軽な散歩である。何十回いや何百回と歩きなれた場所をウロウロしたが、いつもの歩いていて「これは絵になる、写真になる」と感じることが情けないほど少なかったのである。自分の肩にそれなりのカメラバッグを掛けて、それなりのカメラとアクセサリーを入れ込んで、三脚も持って歩く自分とは何だか違う自分が歩いているような気がした。正装備をしていれば活発となる自分のカメラアイ(又はカメラ脳又は感性)が、何も持たないで同じ場所を徘徊するとお休みしてしまう?ことになるのかな。小生は写真に関してはある程度ハイアマチュア又はセミプロ的なことをやっているのかなとうぬぼれている気配があるが、極端に謙遜することもあるまい。小生の写真を町や学校などで展示するとお世辞とは思えないお褒めの言葉を頂く、或いは買っていただく、色々な機関紙の写真や編集にまで手を出したりしている。このミニ展示会では中島の展示の隣では影が薄くなるので展示したくないという知人もいる(彼らと喧嘩してるわけではないが)。そういう自分が何も持たずに歩いているときの景色に感動する程度はゼロではないが相当にガタ落ちなのである。ここから、例によって屁理屈が始まる。それでは、シャツのポケットに入ってしまうような厚さ1センチくらいの小型デジカメ(最近のものはバカにするなかれ、であるが)をもって歩いていたら、カメラ脳や感性がもっと活発化したかもしれない。でも、重装備(と言っても小生のは、たいしたことはないが)して歩いた場合よりはいい加減な作品ができたのかもしれない。同じ小型でも、撮影の真髄を意識してデザインされて作られた、マニアやプロが惚れるタイプがあり、これは小生も買いたいと思ってないわけでもない。小さいがそれなりのものを持つと、それなりの「いい写真を撮るぞ」という覚悟、気持ち、つもりが違ってくるのだろうと思う。更に大型の本格的なカメラを持てば更にプロ意識が増大し、もっと素晴らしい作品ができる可能性はあろう。それでは、単純に「いいカメラを持っていれば、いい写真が取れる」という考えが出るかもしれないが、ここで書いていることは、そのこととは関係ない。それなりの勉強、それなりの感性を磨く努力を惜しんではならない。

2010年5月




 
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