今や、写真を撮ることは、呼吸したり食事したりするのと同じように普通のこととなっている。ケイタイを含めてカメラは身の回りに空気のように無数存在する。カメラは総合精密技術の集積であり、日本に太刀打ちできる国は存在しない(特殊カメラを除いて)。そして、日本人の平均的な性格が何かキチョウメンというかマジメというか写真を撮るならマトモなものをという意欲が世界一高いようである。普通の外国人が誇らしげに見せてくれる家族や風景などの写真は普通の日本人から見て、どうってこともないのが多い。勤務していたアメリカ企業の社長の奥さんにクリスマスパーテイーで「日本人は平均して写真が上手ですね」といわれたことがある。こういう世界屈指のカメラ王国の日本人だが、写真についての考え方は無数に存在する。

(1)

シャッターを押す。その事実だけで後はどうでも良い。モニターでよく確認もしない?

(2)

兎に角記録写真として残った、それだけでいい。モニターで確認する、しない? 

(3)

自分がいいと思う写真があるかどうかモニターで確認して終わり。

(4)

これはと思う写真をプリントしてアルバムに保存するか飾ってみたいと思い、店でプリントして、それで納得して終わり。人に見せるかもしれない。

(5)

店のプリントに不満を持つか、その他の理由で、自分でプリントしたいと思い、プリンターはどの程度のものでもよいが、とにかく自分でプリントしたんだという誇りで満足して終わる。人に見せるかもしれない。

(6)

自作のプリント(ということはモニター上の画像も含めて)に不満を持って、解決しようと思い始める。こうなるとカメラやレンズから始まって、モニターやプリンター(プリント用紙も)、更には画像処理(レタッチなど)の勉強を始める。

 写真をやっている通常のアマチュアにとって、モニターで見て又はプリントして、いい写真(または自分が気に入った写真)と思うことがどういうことなのか定義するのはなかなか難しい。対象を見て感じて撮影し、感じたように画像を再現する為にあらゆる努力をしなければならないのだが、していないで しているつもりが結構いるようである。被写体を見て感じる力(感性)と表現技術との問題だが、これが思うとおりに解決できないため、使っているカメラや関連ソフトのせいにしてに写真の趣味を休眠しているのが相当いるようだ。撮影や画像処理(いわゆるレタッチなど)の方法論の情報は世の中に溢れている。その気になればいくらでも勉強できる。小生はプロではないし、セミプロとは言われることがあるが、展示するとかなりの人が観てくれて、売ることもあるから、普通以上の水準かなとは思っている。そして絶えず勉強を続けている。
 先ず、被写体を見て感動しなくてはいい写真は生まれない。理屈抜きでカメラを向けてシャッターを押したとき、何かに引かれたからであり、その理由又は気持ちを良く考えて大事にする癖をつけることだろう。
 物事簡単に数字で表せるものではないが、しいて経済的に言ってみると、カメラは5〜10万円くらいなら、写りの悪さをカメラのせいにできないだろう。パソコン10〜20万円、画像処理ソフトなら1万数千円のPhotoshop Elements シリースなどを持っていれば、モニター上でもいいと思う画像が生まれるだろう。写真の究極はやはりプリント仕上げと思う。プリンター3〜5万円なら、思うようにプリントができないせいにはできないだろう。要は、自分の感動を大事にして、これら全ての作業段階で、感動を絶えず頭に画きながら忍耐強く深く突っ込んで作業することである。例えば、色に関する、ほんの初歩的なことを言うと、ノートパソコンは運びやすいからといって、居間の赤熱電球、机の蛍光灯、最近流行のLEDランプなどあちこちで作業していたら絶対ダメ。どれか一つに統一して、現在のところ市販の昼白色の蛍光灯か色温度明記したLED照明などが良い。

2010年8月




 
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