目線には二つの意味、「目線をそらす」など物理的な意味(視線)と、「・・・・の立場から見て」などと、人の色々な精神的要素から生まれるもの(「ものの見方」とも言うべきか)がある。これを小生が一番多く撮影している風景写真の撮影に関係つけて考えると屁理屈が生まれる。
 「目線」を高さとして捕らえて考える。小生は最盛期172cmだったが年で縮まったようで170cmに近づいている。普通歩いていて見る景色は100cmの子供と小生が見る景色は明らかに違っているだろう。厳密に言えば、大人同士でも170cmと172cmの人とでは通常の歩き方をしているとして、やはり景色は違うはずである。小生が歩いていてある風景などをみて「あっ、これは写真になる」と感じるのは小生の170cmくらいの身長に対応した目の高さから見ての話である。これが写真をものにする最初のアクションである。次に立ち止まって、横から見たり、かがんで(身長を縮めて)下か見たり、自分が最高と思う角度からシャッターを切るのだが、兎に角通常の撮影では自分の目の高さから見たときの感動から全てが始まるといっても良い。この同じ対象物は、例えば150cmの人が観た場合は特になんでもないのかもしれない。あるいは、上述の二番目の意味の「精神的な見方」(写真家としての感性)の関係で身長の違いによる20cmの目の高さの違いにかかわらず、この人も「あっ、これは写真になる」と思うのかもしれない。はてさて一昔前の話になれば、二眼レフ、ハッセルブラードやゼンザブロニカなどのカメラの場合は初めから下を向いてファインダーで感動して始まった可能性もある。この場合の「目線は」より低い位置にあったことになる。

 どうもチンプンカンプンの理論になってきた(いや複雑怪奇なのである)。

 更には「視野」という言葉がある。これも「目線」と同じく物理的意味と精神的意味に使われる。物理的意味の点で、Wikipediaによれば、人間は片目で(個人差もあるが)約160度程度、両目だと200度の範囲を見るのだといわれている。確か、高齢者交通安全講習を受けたときの話で、年をとると目で見る視野は縮まってくるということであった。そうすると年をとると「あっ、これは写真になる」と感動するチャンスは減るのかもしれない(年齢ボケはべつのことですよ!)
 以上非常に変なことを羅列して書いたが、小生は何をいいたいのか? 「写真は撮影者の身長(目の高さ)と目の視野と感性から生まれる」などと大げさなことを言うことになる。
 実はただそれだけを言いたいのではなく、デジタルカメラだからこそ可能となってきた最近の猛烈な進化に関係することがある。カメラの液晶モニターやファインダーが自由自在に動き始めたのである。例えば、今までも別売の専用装置を付ければ地面すれすれからの撮影もできたのではあるが、今やその機能はカメラに内蔵されつつある。又手を伸ばせる限りカメラを高く掲げて撮影することも可能となってきた。 写真作品の内容が多様化するはずであると思っているのである。

2010年11月




 
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