2010年から3次元画像のテレビが騒がれ、新しい産業分野として成長しようとしている。人間は(というより他の二つ目動物も)対象を左右(上下も?)の二つの目で見て、それぞれの目の位置から受け取る対象の映像の微妙な違いを脳が計算して立体感を得ている。それを人工的に二次元(平面)のテレビ画面や紙などに左右別々に再現して立体視する方法は、装置によるか ちょっとした訓練により裸眼で見る方法など色々ある。この原理はかなり昔からわかっていたわけで、左右違った位置に置いたカメラ又はレンズで撮影したものを見れば立体感を得られる。日本でも明治時代既に立体写真があった。小生はアメリカ在住時(40年くらい前)にアメリカでその100年以上前に撮られた6X6の白黒の立体写真集とそれを見る装置のセットを購入し今でも大事に持っていて、時々古き懐かしい時代の社会や風景などの現実感を愉しんでいる。この種のものは今でもポツポツと世界各地で愛好家相手に売られている。今ではテレビだけでなくデジカメも既に3D対応のものが出ている。さて、ここでちょっと考える。3D画像は芸術品となるのであろうか? 現在の二次元(平面)の写真と映画は既に芸術品として世の中で認められている(日本は先進国の中では一番遅れたと思われるが)。さて、映画は現在ではアニメや空想物語的内容が3D化されているが、人間の愛情、心の葛藤など精神的な表現を目的とする芸術性の高い内容のものはできるのだろうか?写真についても3D画像が高度な精神的な内容を表現する芸術作品になりえるのだろうか。人間は数千年以上に亘って二次元(平面)での画像表現をしてきた。そして心に訴える内容がある作品を芸術性があるとして鑑賞している。はたして、目の前に立体的に見える(見えてしまう)3D画像は、鑑賞する者が少なくとも物理的にはVirtual Reality(仮想世界)の現場に自分が埋没して、のめりこんで見ている臨場感があるわけだが、かえって、それが人間の精神的なものを表現するには不都合であるのかもしれない。
10、 20、 30・・・年後に3D画像がどういう文化になっているのかわからない。

2011年1月




 
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