70才を過ぎ、そろそろ遺産相続などについての遺言を準備したほうが良いと耳にする。 そこで、最近、「重病になったら、死亡したら」というタイトルで、葬儀の仕方、たいしたことのない資産の相続などについての草案を作り始め、ほぼ要点は揃った。その中で、趣味の写真の残骸をどう扱ってもらうか記述するのに、相当の時間を割いた。
 一体現在の世界には、写真は、どこに、どの位、存在するのか。何十億・・・何京もがパソコン、外付け媒体、インターネットなど数え切れない形で存在するのだろう。そして作者が意識不明、行方不明、死亡などしたらどう扱うのだろうか。我々アマチュアカメラマンに汎用性がある国際(少々大げさ)参考基準なりがあっても良いのでは、いや、そんなしち面倒くさいものはなくって良いのだろうか。著作権法なるものは国際的に存在し通常50年位占有権を保証している。しかしここでの議題は具体的にどう相続するかである。
 相当な量の画像資産を抱えているアマチュアカメラマンが突然、意識不明、死亡などしたら、遺族はどう対処するのだろうか。パソコン、インターネットなどがなかった昔のよき(?)時代には、遺族もそれなりの扱いはできたと思われる。パソコン関係に無知の遺族は、只単にすべてを捨てるか、資源回収業者に渡して終わりかな? ある写真は価値ゼロ、あるものは著作権を維持する価値のあるようなものがあるのかもしれない。
 兎に角、扱い方はかなり千差万別になるだろうから、結局各自勝手に、遺書を書く、書かないで行き当たりばったりで良いということになるのかな。扱い基準なんて提案のしようがないのかもしれない。
 小生の場合、整理選択して残っているのが、プリント(殆どA4版)約4,000枚、電子情報はデータ類と画像類と大別して、各々外付けの2台ずつ個別のHDDに、一部は更にCD又はDVDに保存し、10,000件強あり租である。現在のところインターネット上の保存サービスは使っていない。さて、内容的な扱いをどうするか、ライフワークにしている、ある自然公園の画像は、街、学校、個展などで展示したものがかなりある。絵ハガキとして販売していたこともあり公園事務所に寄付、随時展示していた近隣の学校にも寄贈、街の納涼大会など行事の画像は自治会に寄贈、孫などの親族の画像は既に5年以上前から当人分数だけコピーして渡してあるからOK 、・・・・・などなどを遺言に記述した。過去2回個展を開いたが、画像を選んでおいて、死後の個展を1回だけ開いてもらうとか・・・・
 さて、取り留めのない内容の問題提起だが、アマチュアカメランの皆さんは、どうしてますか? どうしますか?

2011年6月




 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima