最近のカメラ誌を見て、編集者に同情を感じている。驚異的な速さで進化し、多様化するデジカメ本体、関連するレンズ、ソフト、付属電子装置類などの情報を取捨選択して限定ページ数内に収める努力は大変なことであると思う。フィルム・カメラの時代は150年位の時間をかけて、ゆっくり、じっくりと進化し発展してきた。
 デジタルカメラでは、(Wikipediaによれば)1975年にイーストマン・コダックのSteve Sassonが発明、Dycam社が1990年に世界初のデジカメ「Dycam Model 1」を発売、富士写真フィルムが1993年に「FUJIX DS-200F」、そしてカシオが1995年に一般向け本格的デジカメ「QV-10」を発売し、デジカメの歴史が動き出した。未だ20年以内の歴史である。そして現在、一般論的に総合判断して、デジカメ画像はフィルム画像を越えたといわれる。
 半導体を含む電子技術やコンピューター技術に後押しされた画像処理技術の発展により、カメラ本体内の画像処理機能は、機械的、光学的構造から開放されて、「水を得た魚」のように自由奔放にいろいろな方向に発展し始め、とどまるところを知らない。
 もしかしたら、レンズにも予想もつかない進化が生まれるのかもしれないが、ここではカメラ(「カメラ」という定義自身考え直さなければ?)本体の進化について、その一端を考えてみる。
 電子制御又は処理の発達の流れを次のように分類してみたらどうかと思う(具体的内容は既に千変万化存在するからここでは一列を挙げる)。
 (1)基本的機能;露出、ピント合せ、シャッター速度、絞り・・・
 (2)「デジタルスチルカメラ」と「デジタルビデオカメラ」機能の合体
 (3)3D化、GPS機能・・・の構造的便利機能
 (4)画像の感性的な加工とも言うべき機能(構図処理、絵画調化、ポスタリゼーション、レトロ調化、輪郭検出化・・・別売のPhotoshopなどのレタッチ・加工ソフトで可能であるが)。
 (4)について、将来カメラマンの感性の一部自動強調機能も現れるかも知れないとも考える。そこまで行かなくても、現時点で(4)による画像作品は芸術品として評価してもらえるのだろうか。実際に観た人に感動を与えるものであれば芸術作品であろう。
 (2)について、動画の中の瞬間の1枚を取り出して、感動を与える作品ができるかもしれない。感動的であれば芸術作品か?
 フォトコンテストでは、現在「風景」「生物」「ポートレート」「スナップショット」など範疇が主流を占めているが、上述の(4)(2)の作品は既に応募対象として違和感なく受け入れてもらえることになっているのだろうか? 又は、別の範疇になるのだろうか?
 このことは「フォトコンテスト」即、日本語としての「写真コンテスト」と通常考えてしまう傾向を離れ「光画像コンテスト」と考えると付き合いやすくなるとも思う。「写真」という言葉の定義づけも、この点でどう考えたらよいのかとも考えてしまう。ある有力な会社では、「写真」より「画像」という言葉を多用するようになっているという記事があったと思うが、そうかと言って「画像」では意味が広すぎるとも思う。

2011年9月




 
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