しばらくぶりに旅らしい旅をした。 相当多忙な為、旅をする時間が無かった。しかし、会長を勤めているシルバークラブの二泊三日のかなりいい線を言っている京都、琵琶湖方面の旅行は「忙しくたって、いいじゃないか」という気を起こさせた。
 「旅」って何だ? Wikipediaによれば「広義では、人が徒歩もしくは何かしらの交通手段を用いて移動すること全般を言う。狭義では、観光地や行楽地などへの観光のための移動を表し、買い物、通勤や出張などのための移動とは区別される」とある。
 参加者の旅行記をクラブの機関紙に掲載するわけだが、旅行を手配した旅行委員長は「非日常の体験であり、知識を広める」とあった。この定義はなかなかのものだ。
 ここで小生の屁理屈が始まる。「移動、非日常体験、知識」立派な定義づけになる。小生の場合は、どっちかというと「移動、非日常体験、写真」ということになる。
 実は、前から感じていたことがある。自宅から徒歩数分にある約9万坪の「舞岡公園」の撮影をライフワークとしているが、通常、帰宅まで2時間半から3時間かかる。さてどこから「移動」? 家の門を出たあたりから「移動開始」、そして数分後に「舞岡公園の入り口」に到達すると「非日常の体験」が始まり「写真撮影」となる。カメラを抱えているときは「写真をものにする」という気持ちと意気込みを持っている。ところが、時たま写真以外の用事があって、公園のほぼ中央に位置する公園事務所に片道約15分かけて、カメラ無しで行くことがあるが、同じ場所を通っても、カメラ重装備でいる場合に比べて、景色や草花などを見て、感じる、感動する程度が違うように思える。
 極めて当たり前な花、タンポポは公園にはふんだんにあり、わが庭にも時々咲く。しかし我が家のタンポポにカメラ向ける気は、公園内に比べると、があまり起こらない。「日常」範囲だからだろう。
 旅行も、「その積もり」の意気込みがあるか無しかで、又その程度で、意味するところが随分と違ってくるのだろうと思う(当たり前?)

2011年11月




 
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