写真の趣味を既に30年以上やっているが、元々は絵が好きであった。小、中学生時代の絵画の時間では、まごついているクラスメーに、先生から「手伝ってあげなさい」と言われて手助けしたことを覚えている。ある課題のポスター絵で学校を代表して応募し県知事賞を受けたことがある。それから、長い空白の時間を経て「写真をやろう」と思ったのには、二つの理由があった。「多忙で絵を描く時間は無い、写真ならシャッターを押すだけ(当時のフィルムの時代では、自分で暗室作業をしなければそう言えたが。今のデジタル写真では、小生は全て自分のパソコンンとプリンターで画像作成しているので結局真夜中までパソコンンに張り付いていることがしばしばある)」と「理科系ではないが、メカ(機械的なもの)をいじるのが好き(連動してパソコンの自作、画像処理のコンピューター理論の勉強に至った)」という理由であった。
 以上述べた小生が、絵画と写真の関係のほんの一端について思っていることを書く。時には美術館に行くので、岩波書店の「名画を見る」という手ごろな小型本を引っ張り出し前よりも慎重に読み返し始めた。印象派(絵画にあまり興味ない人でも、この言葉は頭の隅にあるのではなかろうか)から近代抽象絵画の代表作の鑑賞の仕方を説明している。モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンと続く印象派は、写真に凝っている現在の小生にとって、絵画、特に前期印象派(1800年代のゴッホの一部を含むセザンヌあたりまで)の時代的背景、技法、絵画と写真の関係などの点で引き寄せられるもがある。
 1700年代までは絵画といえばアトリエで人物を中心に忠実に画くことであり、一つの職業として成立していた。しかし写真が発明されて忠実に画く可能性において凌駕し肖像絵画のお株を奪って行った。新しい絵画の形が生まれる必然性があったといえよう。時代をほぼ同じくして発明された「チューブ入り絵の具」は画家がアトリエではなく屋外で画く可能性を増大し、屋外の太陽光の下で画く風景絵画が増大した。忠実に画く肖像絵画からの開放、太陽の光を思う存分取り込む可能性、などが印象派絵画の誕生に重大な関与をしたと思う。
 Wikipediaによれば「印象派絵画の大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置き、時にはある瞬間の変化を強調して表現することもあった。それまでの絵画と比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいる。また当時主流だった写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である」。
 全てのものは光を当てられ、その反射光画目に入って認識される。太陽光はプリズムで赤、橙、黄、緑、青、藍、紫(一般的定義)に分解さる。印象派は「ものの形そのものよりも、ものからの反射光を分割して(色彩分割法)、点描などの方法で、ものを再現した」。写真こそは、ものから反射してくる光によって可能となる表現技法である。現在のデジカメの原理「光の三原色、赤、緑、青とそれらの組合せで全ての色を表し、コンピューター画像処理をする」に通じる点がある。しかし上述二重下線の部分は写真との大きな違いである(通常の写真の例で見れば)。小生はこの違いにあこがれている面があり、どうにかしてこのような写真画像が作れないものか思っているのである。


2011年12月




 
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