今回は少々陰鬱な記事である。ただ今、なんだか人生に色々ある波の一つの波の谷間にいるように思える。幼児、小学校、中学校、高校、大学の時代、サラリーマンとして国内勤務と海外勤務、国内企業と外国企業勤務、そして72歳で退職してから約3年、随分と色々あったなー。あと何年生きるだろうと考える頻度が増えてきた。どうってこともない一介の人間である。そうかといって、心のすみには死ぬまでに何かをやったことにしたいというささやかな願望がある。 サラリーマンでまーまーの企業で働いて給料をもらって、家庭を持って、適当な趣味を持って、・・・という事ではあるが、何かもの足りない。
 趣味の写真についても同じようなことが起こっている。絵を描くのが好きだったがシャッター押せば映るという写真に興味を持った。当時は当たり前に白黒写真で始まった。自分で現像や引き伸ばしプリントなどをやったがそこそこの程度だった。感性や芸術性など頭の中になかったから殆ど記録写真であった。
 カラー写真の時代が来た。カラースライド写真を撮り始めた。家族写真ではネガカラーで撮ることもあった。本当に写真に興味を持ち始めたのは、確か京都の鴨川の写真をコダックのコダクロームで撮影したスライドの風景写真を見て驚愕したことであった。コダクロームは世界写真史に残る、現像所での現像処理が複雑怪奇な、独特なフィルムであった。 ここから、風景写真をジャンジャン撮るようになり、見れる、又は見せれる写真を意識するようになった。
 しばらくたってから構図を気にするようになった。NYにいた時写真通信教育での構図テストでは満点であった。しかし構図ばかりを気にし過ぎると、感動する内容が崩れるようにも思えてきた。例えば机の上はいつも整然としていなければ気がすまない几帳面な性格があり、几帳面な構図の写真に傾き過ぎた感がある。今では、どうやら構図感覚は本能的に身についているのだから気にしない気にしないと開き直っている。
 自分の一介のアマチュア写真家としての位置づけはどうかと考えたりもする。もうやめってしまったがキャノンの写真サークル会員であった頃、日本の35mmフィルム風景写真の開拓者で第一人者である竹内敏信の月例審査で1200人強の応募者で4ケ月連続で30位くらいであったことが一つの目安かもしれない。
 そして今、写真趣味人生の波の一つの谷間にあるように思える。どうも自分の写真には何かが欠けている、力強さがない、ダイナミックでない、・・・など感じてしょげている。
その反動で、シャッターを押すときは今まで以上に何かを考えるようになっている。この年なって結構新たな努力をしてはいる。

2012年3月




 
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