港南区シルバークラブ連合会(86クラブがある)の会長研修会が5月14,15日、福島県で当地のクラブとの交歓で行われた。下記は連合会に提出した感想文である。又、「巨大な自然の仕業、写真の趣味」いうタイトルで、大震災直後の3月にこのホームページに掲載した随筆が、「自然の脅威、写真の趣味」としてカメラ誌 CAPA 6月号に掲載されたこととも関係する。


 夫婦の相方、親、子供、孫、旧友、親しい隣人、・・・そして長年住み慣れた家(我々の水準では大きな家が多かったであろう)も突然なくなった。居場所がない、頼れる人がいない、前代未聞の巨大津波の瞬間を見た人、または見なかった人にも襲ってきた計り知れない精神的ショック。それだけではない。原発事故の放射能の恐怖が加わった。時間が経過し、やっと仮設住宅住まい。以前に比べたらなんと狭く暮らしにくく不便なことか。
 これらすべての惨事が我々と同世代の人々にも容赦なく降りかかった。かつての老人クラブの仲間の生死もわからない。クラブ再生にはどこから手をつけたらよいのか。誰かが地道に始めなければならない。富岡町老人クラブ連合会副会長・富岡町富田仮設住宅老人クラブ会長の渡辺喜助氏は静かにそして淡々と講演された。すべての精神的、物質的困難を乗り越えて「老人クラブの灯を消すな」と最初に動き出し、こつこつと地道に忍耐強く活動された強烈な精神力(東北魂か)を秘めた方とお見受けした。そして福島県被災地での最初の老人クラブ立ち上げとなった。
 翌日津波被災地を訪れた。一部観光気分で眺めたことは否めない。写真の趣味もあるものだから走行中のバスの窓を少し開けてシャッターを押した。なぜ撮影したのか、あまり理由がなかった。写真撮影の癖が出た。昨日の渡辺氏を思い出した。奥州平泉で芭蕉がうたった「夏草や兵どもが夢のあと」を思い出してしまった。老人クラブの人々が楽しく生きておられたであろう場所の夢のあと。地元の人々に申し訳ない気持ちもあった。
 平和な(?)横浜に帰れば、自分の単位クラブの運営でフーフー言っている自分の姿がある。東北魂の一端をかじりたいものである。お土産にいただいた可愛い起きあがりこぼしは机の上に飾り時々いじっています。

2012年5月




 
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