世の中、ついにデジカメ(デジタルカメラ)世界になった。デジタルと、対するアナログとは何か、全くの素人的解釈を展開してみる。例としては、だらだら坂と階段の坂、計算尺とソロバン、時計の短針・長針表示と数値表示、学校で習った曲線グラフと棒グラフ、・・・そして、写真では光化学変化を利用したフィルムとコンピューター加工によるデジカメ画像と言えるのだろう。
 被写体としての形、色彩、明暗の諧調・・・などは連続した変化量から成り立っているが、アナログでは変化量を人工的な連続変化量で再現することであり、デジタルは連続変化量を微細にちょん切って個々に値を付けて並べて再現し、ちょん切る程度が無限大になれば現実の被写体に限りなく近づいて表現することができるであろう。この点でのメーカーの競争がし烈に行われている。
  ところで、電気式(電子)的コンピューターもカメラも誕生の黎明期では瞬間的にアナログ式であったようである。本来、アナログは被写体の連続変化をそのまま人工的に再現しているはずであり、(自然)人にとっても感動に訴える力があると思われる。ところが、だらだらと連続的に繋がっている電気・電子的な量は、外部からの影響を受けると修復が大変であるし、色々な画像処理計算でもややこしい。画像生成・加工、保存、転送、コピーなどで、不安定である。デジタルは連続変化を微細にちょん切って個々に独立した値(コンピュータでは0と1の組み合わせ)を付与した連続表示であるので明快であり、画像生成・加工の計算も簡明であり、ノイズなどの影響が起きても隣接値から推定して補完、修正などしやすい。
 日常的なアナログ対デジタルの使い方では、「物事を割り切らずに解釈する」対「白黒決着しなければ気が済まない」、「古い」対「新しい」、「感情的」対「理論的」などとする。
 ずいぶんと素人的理論展開をしたが、何を言いたいかというと、画像を観賞する自然人は被写体本来の連続変化事象をそのまま再現した作品に郷愁を感じるし望んでいる。例えば、アナログ的なフィルム画像を懐かしむカメラマンは後を絶をたたないであろう。
 デジカメで進行中の猛烈な進歩とは、デジタル表現を限りなくアナログ表現に近づけている努力であろう。そして、あまたある画像表現芸術の中で、写真ほどデジタル対アナログを考えてしまう分野はなかろうし、又無限の発展に思いを馳せうる分野でもあろう。

2013年3月




 
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