我々はデジタル技術の世界に埋没し、想像を絶する速さでカメラや関連装置類への応用は進化している。最近は、レンズの進化との関連性についても考えさせられる事態ともなっている。レンズがコンピュータのデジタル計算により設計されて商品化されているのは誰でも知っている。でも違った観点から、デジタル画像処理技術との共存又は競合が生まれつつあるように思う。
 まず卑近な例とすると、35mmmフィルム時代にはティルトやシフト専用の高価な専用レンズがあったりして憧れたものであるが、現在ではアマチュアの通常の用途ではデジタル画像処理で、いとも簡単に代行できるようになってしまった。
 レンズ性能の判断項目として、解像度、ボケ具合、歪曲、色収差、・・・等が一般的に考えられるわけだが、これらの面で、レンズそのものの光学物理的な特徴として位置づけされていたのが、カメラやパソコンなどの装置側で、デジタル画像処理技術により補正や補完するアイデアが続々と生まれカメラ内画像処理ソフトや別売の画像処理ソフトなどに組み込まれつつある。これは面白い局面を持っていると思う。
 「純正」ということに固執すれば、あるカメラメーカーのカメラにはそのメーカーのレンズを使うのが、通常は最善の作品が得られると考えられている。この場合、カメラメーカーはレンズ性能をどこまでを「良し」とし、残りの性能アップを自己の別売又は付属のデジタル画像処理ソフトに任せることになるのだろうか。あくまでも商売である。
 一方、ユザー側の伝統的な心理は簡単には変わらないのかもしれない。レンズの「味」というものはデジタル画像処理で簡単にいじることできない崇高側面であるという意見もあろう。しかし、その「味」自体もデジタル画像処理技術で模倣できるようになるのかもしれない。
 究極的なことを考えると、レンズそのものの性能は中庸なものとしておいて競争力ある価格で提供し、あとはデジタル画像処理アルゴリズムの高度化で補うというような組み合わせの商売のやり方もあろう。
 更には、日本の高度な「ものづくり」精神と技術に裏打ちされて現在世界を席巻している日本のレンズは国際競争の中でどうなって行くのであろうかとも考えてしまう。

2013年4月




 
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