カメラ又は写真を楽しむ方法は多種多様で簡単には説明できない。撮影した写真を楽しむのが王道かなとも思えるが、カメラ収集だけに没頭する人もおられる。さて、小生は、そろそろ70代半ばを過ぎようとし余命の年数がかなり短くなった。一方、今や写真趣味人の中で高齢者(定義が難しいが)は大変な数を占めていると推定する。
 小生はあくまで「撮影した作品を楽しむ」派だから、何かを撮影しながら最後を迎えることを望んでいる。それにはPPK(ピンピンコロリ)の終焉が望ましいわけだが、車椅子、寝たきりの可能性も否定できない。カメラを持つことができる(介護者の支援を含む)、頭脳明晰とはいかないが通常の働きをしている、ことを前提にして考える。
 現在は風景写真が重点だが、花の写真になるであろうと思っている。外出不可能となっても、屋内で生け花などの撮影はできる。屋内の静物や来訪者の写真なども考えられなくもないが。
 秋山庄太郎氏は写真作品の審査に没頭しておられた時に突然死されたと聞く。PPKで大往生というべきだろう。また晩年は花の写真にかなり力を入れておられたと聞く。気持ち半分は同氏にあやかって、花の撮影内容を深めようと無い能力にハッパをかけている。
 花は誰が見たって美しい。おそらく昆虫などの生き物が見たって美しい(だから花は昆虫が寄ってくることで受粉している)ように神様は造った(その後人間がDNAなどいろいろといじったが)と思う。いくらみても花は総じて美しい。汚い、憎たらしい、怖い・・・花ってあるのだろうか? この美しくて当たり前な花をどう表現するかいつも迷って撮影している。
 蛇足ながら、エンディングノート(遺言)が広く話題になりつつある。小生は何千枚とある写真やカメラ装置類を、死んだらどうしてくれと・・・すでに書いている。この記事は若いカメラマンにはつまらないもの、無視してください。一介の高齢者のたわごとのほんの一例である。

2013年5月




 
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