「ダイナミックレンジ」という用語はデジカメになってから普及したと思う。本義は「ある値の変化量の最小値と最大値の比率」のようだが、写真分野では明暗の諧調について言うわけだ。フィルムの時代の「ラチチュード」という同義語が懐かしい。ネガフィルムは「広い」、ポジフィルムは「狭い」などと言った。
 デジカメやRAW現像やレタッチソフトでダイナミックレンジを調整する機能はますます普及し始めている。小生もデジカメのD−Range調整やPhotoshop「色調補正」のシャドウ・ハイライトなどを使ったりする。
 どうも最近、自分の作品について、フィルムの時代でも言われていた「フラット」又は「眠い」ということが気になり始めた。几帳面なせいか明暗両端の部分も詳細に表現したくなり明暗諧調をいじり過ぎているようだ。「コントラスト」を強調すれば、ある程度救済できるが基本的には違う範疇を調整していると思う。フラットが度を越すとなんなく絵画(特に水彩画)に近づいて行くように思う。
 明暗(色彩はさておいて)表現について少々屁理屈を考えてみる。真夏のかんかん照りの真昼の風景は強い明暗諧調の典型であろう。人間の目が風景を瞬時に舐めまわした時、写真としては「黒潰れ」又は「白飛び(本当のまぶしさは除いて)」してしまうであろう部分についても、脳で調整して通常の明暗として認識している。写真ではこれは不可能だから、ダイナミックレンジ調整でなんとかする。
 何を言いたかというと、人間の脳は自動的にダイナミックレンジを調整して被写体を見ているのにかかわらず、シャッターを押して仕上げた作品の鑑賞では、ダイナミックレンジ調整を(余り)してない、すなわち明暗の諧調差が残っている画像の方を通常、写真(フォトグラフィ)らしい作品としての価値を認め、そうでないものは絵画的(デジタル絵画?)又はイラスト類として別物とみる。

2014年5月




 
Copyright©2007 Takeshi Nakajima