プロ、アマを問わずカメラマンにも高齢者(法的には65才以上?)も相当数おられると思う。高齢者である小生は「終活」ということが気になり始めた。突然の死や判断・意思能力喪失で、ため込んだ写真やカメラなどの器具類はどうなるか?若い方でも普段から気にしていても損なことではないと思う。
 @「準備万端だ」、A「撮りっぱなし、入れっぱなし」、B「そんなこと知ってるかい」、B「どっちつかず」もいるだろう。 小生は几帳面な方だから@寄りかなとも思う。
 器具類は中古マーケットに出すなど比較的解りやすいので、さておくとする。
 大切な(と信じる)写真作品となると、事情はかなり違い、ややこしくなる。「思い入れ」「思い出」「世界でただ一」、「著作権の価値ある」・・・など絡んでくる。
 ABの方には、「それでいいのですか?ちょっと、考え直してみたら」と言いたいところ。
 「終活」は2013年末の流行語大賞に選ばれ有名になった。ネット情法によれば、「終焉に向かう活動」だけではなく、「終焉を見つめ準備することで今をよりよく生きる」という想いが込められている。葬式、墓、財産や相続、持ち物、認知症、介護、延命措置、・・・などへの対応を整理しておき、残された者に迷惑をかけず、又自分自身も安心して余生を過ごすことができる、「人を思い、自分を思う」ことであると。
 書き残すには、財産相続の法的な「遺言」は別として、今はやりの「エンディングノート」となる。法的効力がない反面、自由な形で書いて「思いや希望を伝える」ことができる。
 全ては撮った写真の整理から始まる。幸いにして、小生は7年位前から、撮影画像を取捨選択し、Photoshop Bridgeなどを活用して撮影日時と被写体名の組み合わせで整理する癖ができた。年に数千枚は撮影するが、取捨選択、整理整頓できているという安心感みたいなものと、後世に残すというような意気込みは、撮影意欲や感性にまでも影響しているようにも思う(大げさかな)。知人が「2万枚以上たまったが、特に整理しないでいる」と心配そうに言うから「整理してないということは、無いということと殆ど同じだ」と言ったら半年後位から整理し始めた。彼のもやもやした気持ちが減り、より良い写真が撮れてるであろうと思う。
 ややこしいのは、保存形態の多様化である。パソコン、タブレット、CD、DVD、BD、 スマートフォン、ケイタイ、プリント、クラウド/ホームページ/ブログなどのインターネット関係、・・・。どうやって伝承するか? 保存可能な寿命は?・・・、写真画像処理技術の変遷は著しく、考え過ぎると結論が出ない。プリントは顔料系インクで来ているからアルバム保存で50年以上は持つだろうとは思う。
 「芸術的価値」「思い入れ」「保存形態」「自分と一緒に葬る」「残す」「贈与」「寄付」、・・・などの組み合わせで終活形態はいろいろである。
 街の自治会やシニアクラブの諸行事の写真を担当し自治会館などで展示し、直近の自然大公園の写真はホームページ、展示会、学校などで展示している。団体への「寄付」が考えられる。ホームページはアクセス数もマーマーだから、1年位はアップし続けるようにしたらとも思う。
 来訪する孫たちの写真は、兄弟仲良くやっている姿を捉えたものに集中し、「仲良し兄弟」タイトルでA4版数枚にちりばめてプリントし、孫各人、親、祖父母、に配布することを10年以上続けている。将来も「兄弟仲良く」を願ってのことである。国内外の生活や旅行の家族写真は、写真集の小冊子にして残す予定だが相当な時間が必要だ。
 進行中の「終活」の一端を披歴し、続行の決意を新たにしている。活動は更に多様化し、健康が許す限り続行する。「終活」を気にかけるカメラマンがさらに増えればとも願う。

2015年2月




 
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