どうも物騒なタイトルで恐縮。写真撮影と自然との絆の話である。「殺生」とは「生き物を殺すこと。仏教では最も重い罪の一つとされる」と言われる。
 自宅から徒歩数分に横浜市では最も自然を残していると思われる約9万坪の里山系の自然公園があり、小生のライフワーク的被写体となっている。
 そこには、石碑があり、「「ただひとつのためにいき、ただひとつのために枯れてゆく草よ、そんなふうに生きても、お前はだれも傷つけなかった。富弘」とある。小生は文学には疎いが、画家であり詩人である著名な星野富弘の言葉であろう。
 先日のあるテレビ番組で、「スマホやタブレットなどで普通の人が撮影する最多の被写体は何か」では、数名のタレントの「人」「料理」などの回答に反して、正解は「風景」が圧倒的な比率で一位であった。風景写真中心とする小生は何となくニンマリであった。
 風景と言っても自然風景、街風景など多様ではあるが、プロも認める世界一四季の変化に富み、繊細な自然(温暖化で少々変調が始まっているようだが)に恵まれた日本のアマチュアカメラマンの当然のトレンドでもあろうとも思う。
 ここで飛躍して、カメラマンの皆さん、自然の殺生回避に気を配っていますか? 信じられない、変人だ、と言われるかもしれないが、小生はマジで、例えばキレイな野の花の隣に枯れかけた雑草の葉があっても、よほどの場合を除いて引き抜かない(この方が本当の自然風景になるということもあるが)、歩いていてもアリなどを踏みつけないよう気を配る。小生は通常の葬儀以外では仏教とは全く無縁だが、仏教僧によっては殺生をできるだけ減らすために草履でなく下駄を履く、天狗の一本歯下駄の一つの理由でもあるらしい。
 時々話題になるカメラマンの撮影マナー問題、自然を愛する気持ちの風景撮影の感性への影響など、に関係するだろうと思う。

2015年4月




 
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