8月28日朝日新聞夕刊のトップ記事として「写真、あえてフィルム」があった。フィルムを知らないデジタル世代にとって色々な点で珍しい、「世界でただ一つ」と言える価値がある、という例として、フィルムカメラ、「映ルンです」、湿板写真、「チェキ」などが取り上げられていた。
 デジタル写真以外に、フィルムを始め色々な撮影記録様式を楽しんでいる人は以前からかなりおられるわけで、特に騒ぐことでもなかろうと思うのだが、フィルムの経験を置き去りにしてデジタルに埋没している小生は、何か気になる。アナログ的表現と「世界にただ一つ」と言える、絵画のような、画像記録様式が、見直されているのだと思う。
 人間の目に映る被写体は本来アナログ的で、鑑賞する人間の脳も本来アナログ対応であるはずである。画素が縦横整然と並ぶデジタル画像よりも、化学反応の不定形微粒子からなるフィルム画像の方が人間のアナログ的な郷愁に訴える力が強いのであろう。今やデジカメには「フィルムらしさ」をセットできるものもある。デジタル化の最大の特徴は色々な意味での利便性だが、画像を「限りなくアナログに近づける」デジタル技術も更に発展するだろうし、超高画素化も関係ありそうである。一層のこと画素を意図的に不規則に並べるようなデジタル撮像素子は出てくるのであろうか。
 「世界でただ一つ」の定義づけは結構難しい。ある瞬間に撮影記録して出来上がった写真作品(記録媒体と記録画像の組み合わせ)と全く同じものを二度とできないということだろう。湿板写真、チェキ写真、ネガフィルム、ポジフィルムなど、コピーはできるが、二度と全く同じものは作れない「オリジナル」と言えることになる。しかし、崩れることが全くなく自由自在にコピー、転送、別保存できることを大きな目的とするデジタル画像素子の写真には、それゆえに、何が目に見える形でのオリジナルなのか分からない。意図的に「世界でただ一つ」の写真を作るデジタル技術は出てくるのだろうか。

2015年8月




 
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