タイトルを「写真の構図」ではなく「写真と構図」とする。構図という言葉は写真では、余り深く考慮する対象にはならないのではと考えている次第。
 あるNET辞書によれば、構図とは(1) 絵画・写真などで仕上がりの効果を配慮した画面の構成(コンポジション)(2)構成された図形(3) 物事を全体的にとらえたときのすがた・かたち。 などとある。
 絵画では習った構図の推奨定型に則って作品を仕上げることは多々あるであろう。常識的な構図からはみ出していても感性に訴える名作も生まれているだろうとも思う。
 一方、写真では(イラスト、デザインなど人工的な写真は別として)、眼前にある被写体は撮影者が全くいじれないものであり、「それがそこにある」情景から切り取る(フレーミング)だけで ある。
構図の推奨定型は一般に優れていると認められた作品例から抽出分類したもので、無限に存在するもののほんの一端である。
 写真の構図についてのあるNETページでは、日の丸、2・3・4分割、額縁、サンドウイッチ、三角、トンネル、対角線、放射、・・・と列挙し、最後に「構図以外でストーリー性」を付け加えているが、この説明は賢明である。
 アマチュアカメラマンは初歩的段階で手始めに構図の推奨定型を参考にするだろうが、時を経ずして、構図定型よりも自分の感性に基づく直感的な「ストーリー性」重視に傾いて行き、作品作成に上達してゆく。構図の定型に振り回されていたら良い作品をものにできないと気付くだろう。
 感動してシャッターを押すとき、その感動をどうやったら最高度に表現できるか深く考えて切り取った写真が第三者にも感動を与えるのであれば、結果としてその作品の構図は素晴らしかったということになる。生半可な構図知識を被写体に当てはめようとして撮影するのは徒労に終わりそうである。
 写真の構図はカメラマンの感性の結果であり無限大にあり定型分類のしようがない。構図の定型は、普通人に常識的に駄作だと言われてしまうような写真撮影を防止するための気使い以外には余り価値はなさそうである。

2016年5月




 
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