CAPAを約25年間愛読しているが、殆どの同僚アマチュア・カメラマン(最近はこの定義が難しい)は、自分の写真趣味に「誇り」を持っているのではないだろうか。
 (1)カメラ(2)腕(カメラの使いこなし方、や画像処理など)、そして究極の(3)感性(立派な作品作りで、言い方によっては(2)と混同する)を誇っている。率直、誇りとは、他人に「認められている」ことを内心自慢することであろう(崇高な写真家からは反論があるかも)。
  「私の趣味は・・・です」は趣味万事に通じる言い回しだが、どうも最近は、「私の趣味は写真です」のニュアンスがだいぶ不明瞭で怪しくなってきたと思う。
 先ず物理的な(1)だが、大昔はカメラなるものを持つだけで、二昔前には、フィルム用の、一昔前からはデジタルの、「お任せカメラ」(小生の新語、バカチョンは放送禁止用語です)を超えた中、高級カメラを持つことで、「私の趣味は写真です」と誇れることになった。小生は、通常よりちょっと高級なカメラを持ち続けている。ところで、今や「お任せカメラ」では、スマホやタブレットも堂々たる存在である。
 さて、(2)≒(3)についてだが、自宅の街に隣接する自然大公園の風景写真や街の夏祭りなどの行事の写真を自治会館や学校などで展示し、セミプロ、ハイアマなどと言われ、自分の作品水準がまんざらでもなさそうだと誇っている。
 (1)(2)(3)統合的には、写真をやらない人からは、「素晴らしいカメラをお持ちで、又お上手でもある」とのお世辞をいただく。夏祭りでは街の役もやっているので来賓席にも顔を出す。「いい写真を撮ってくれてますね」とのお言葉に幼稚な満足を感じるわけであるが、今年のある初対面の来賓から、結構ストレートに「いい写真が撮れるのは、カメラがいいか、腕がいいか、のどちらかだね」とのお言葉が出た。小生の気持ちゲンナリ。
 特にデジタルになってからカメラの進歩は想像を絶する。簡単に言うと初期の段階では自動化だったが、今や人工知能化(AI化)である。自動運転自動車でも世界は騒いでいる。よく考えてみると「お任せカメラ」こそ、AI化の先陣を切ったのかもしれない。AI化は(2)(3)の要素も含んでいる。そして、悪く言うと、AI化はカメラマンの腕と感性表現に貢献すると同時に競合するのではなかろうかと思う。
 CAPAフォトコン「風景の部」は尊敬する竹内敏信先生/選、古市智之先生/評で、昔キャノンサークル・メンバー時に竹内先生にマーマーの上位に評価いただいた思い出があり、愛読しているが、9月号の「撮影のすべてがプログラム化されつつある現代において、カメラ任せにならない部分、すなわち構図とタイトルを私たちは大切にしなければなりません」が印象に残っている。

2016年9月




 
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